著書「補欠選手はなぜ金メダルを取れたのか」を出版した、モントリオール五輪体操男子団体金メダリスト、五十嵐久人氏。

今回は著書についてのお話や、自らの体操人生、目標へ近づくための心持ちなどを語ってもらいました!

よろしくお願いします。まず、本を書いた理由というのは何かあったのですか?

一つは今年の3月で国立大学の教員としての区切りを打つということで、まあもう実際的には一昨年の秋くらいに少しずつ今までの過去を振り返ってみてちょっと整理してみたいなと。

できれば体操部の子たち、あるいは自分の教えてる教室の子たちに、ちょっとした冊子を作ろうかなと思って、毎日1200字くらいかな、3ヶ月4ヶ月続けていくうちに12万字になってしまって。

これは冊子にするものあれかなと思って、ある知り合いの作家さんに聞いたらいつの間にかこのような形になっちゃったということで。

自分で感じてきたことを誰かに伝えたいと思う気持ちというのはあったのですか?

それはありますね。

やっぱり最終的には人が動くとか行動するとか、物をつくるということの根本にあるのは、人の心の中を投影したものだから、元はその人の心の中に何をもっているかということなので。

もちろん僕もずっと心の中にあるものを持っていたわけで、今でも持ってるわけで。

それが時代時代に応じて変化するわけで、現役時代は体操というものをやっていたし、体操が終わってからはまた別のものに対象が変わっていったわけだし、そういうものをやはり何らかの形で伝えていくというのは必要かなって思って。

本のタイトル「補欠選手はなぜ金メダルを取れたのか」にもありますが、補欠といったポジションにいながら、金メダルを獲得するまで、強いマインドを保てたのはなぜですか?

確かに高校までは、まあ実際的には大学2年まではほとんど無名というか、大きな成果というのは出なかったというのは実際的にはあるし、でもやはり自分の夢というのは将来はオリンピックに出たいという、どこかそういう思いというのはあったんですよね。

まあ本にも書いたように、それは加藤澤男さんだとか、塚原、監物、笠松さんもその範疇に入るのかもしれないけど、そういう天才的な要素は自分ではあまりないというのは自分ではわかっていたので、だけど補欠選手としてなぜ金メダルをとれたのかというのは、僕だけじゃなくて、世の中にはたくさんそういう日の目をなかなかみない、だけど実際自分は力を持っているんだぞというふうな人に対するメッセージでもあるし。

よくあるじゃないですか、映画だとかドラマでも、脇役なんだけどすごく徹してやっていると、主役よりも光っちゃうというか。あの主役よりもなんか脇役がすごく目立つねっていう。

そういうふうなものにやっぱり僕はなんというかな、素晴らしさっていうのを感じるし。

でもその人がものすごく一生懸命その役割に徹するからそういうふうになるんであって、いつの間にか主役を食ってしまう。

逆もあって、主役がもし脇役的な存在の演技をやったら、それはきちんと真摯に受け止めれば、ものすごい光る脇役になると思うんですよ。

だからやっぱり人って役割があって、天から与えられた役割っていうのは、僕はそんなスターでもないし、天才でもないし、じゃあ僕の役割はなんだ?って。

一歩そこまではいかないんだけど、頑張ればその人たちにいつかは追付けるんじゃないかっていう、そういう強い思いがあったんですよ。

ただし、その人たちと同じような練習をやっていればいつまでたっても追いつけないっていうのは自覚してました。

天才と呼ばれる人たちよりも何倍もの努力を重ねることで、いつかその人たちを超えたいという目標があったのですね。

五十嵐久人ただね、その天才だと言われた加藤澤男、あるは塚原光男、監物永三にしてもやっぱりね、練習やるんですよ。天才と言われながら(笑)。

天才がもう人一倍練習するもんだから、その下の代はこれ追い越すのね、追いつくのがね、もう大変。

だからね、本当にあの頃っていうのは団塊の世代だし、そういうキラッと光る天才児が、人一倍二倍練習するもんだから、これはもうね、追いつくの大変でしたよ。

それはハンパじゃないです。

そういう練習する天才たちを超えるには、相当な練習量が必要だったと思うのですが、そんな練習を続けてこれたのにはどんな理由があったのですか?

一番は好きだったというのはありますよね。好きこそものの上手なれというけど。

でも、それとやはり「素人の延長には玄人はない」で、好きだからやっていればうまくなるかというと、そういう問題ではなくて。うまくはなるけど強くはならないっていう、そういうのはありますよね。

で、よほど努力したのかというと、自分じゃ努力したとは思わないですよね。

努力じゃなくて、結構なんか自分で自分を痛めつけるというか、計画を立てるのが好きだったんですよ。

自分という人間、素材があって、まあそれほど光るような天才的な素材じゃないんだけど、それに対して自分の頭の中で、こういうふうな計画を立てながら、自分の体をこんなふうに動かしていったら、何ヶ月後何年後にはこれくらいのレベルの選手になるかなっていう。

その計画を立てていくのが大好きで、それこそ1週間に1回くらい計画を立て直して、立て直して、設計図をしょっちゅう作るのが大好きで。

で、自分のレベルが上がったら、また設計図を書き直して。

それが好きで、その設計図に沿って自分の体を動かしていくっていうのが好きだったんですよ。

だから、人から見るとものすごい努力なんだろうなと思うんだけど、努力でも何でもないと思うよ。

それは自分の考え、自分の中のプロットがあって、それに自分を動かしていくっていうのがすごく好きだったのかな。

んで人から見るとすごく努力してるねっていうふうに言われるんじゃないかな。

ある意味、自分でそういうマイルストーンをつくって、それをクリアしていくことにある種の快感みたいなのがあったんですね。

五十嵐久人

そうなんですよ。

うまくなりたいって、そりゃ当然うまくなりたい。憧れの選手とか目標あるんだけど、それはあくまでも遠い目標で。

42.195kmというマラソンを考えれば、遠いゴールなんで、そこを考えてたらもう嫌になってしまうというか、だから今言ったようにマイルストーンみたいな中間的な中期目標みたいなものとか、あるいは短期目標みたいなミクロの眼というか。

そういう3つの眼を持ちながら計画を立ててましたよね。1週間ごとのミクロの計画とか、あるいは何ヶ月後のマイルストーン的なものだとか、最終的にはオリンピックに出たいという、そういう長期的なマクロの眼、というような眼をもって計画は作っていたかなって。

だから学生時代の計画書みると、こんなに山ほど積んであって(笑)。まあ無くなっちゃいましたけどね。

毎日朝起きた時の体重だとか睡眠時間だとか、それから練習は6種目だったらどういう運動を何回練習しただとか。

で、それをグラフ化すると視覚化できるので、前回よりは今回の方が、あるいは先週よりは今週の方が、たくさん練習やっているだとか、たくさん技が出来るようになってきただとか、たくさん筋力がついたというのが、グラフ化するとすぐ目でわかるので、そのグラフによって、自分をこう元気付けてくれるというか。

ただ漠然と考えてたら、今いる位置わかんないから全然自分を元気付けられないけど、でもそういうふうに細かくグラフ化しておくと自分の位置がわかるから、頑張ろうと。